宮沢和史朗読会『未完の夜』
3月17日・広島ゲバントホール


セットリスト

「未完の夜」の記録 広島ゲバントホール編

2004年3月17日(水)会場・広島ゲバントホール。招待客約300人。ステージ上は客席側から見て、右側にパーカッションセット。左側にグランドピアノ。中央には吟遊詩人を待つ椅子。
客席は満員。開演時間の19:00が訪れ、会場内の音楽は止み、照明は落とされ闇へと変わる。
闇のステージに吟遊詩人が己の世界を綴った幾つかの詩集を抱えながら現れる。

『本日は結婚記者会見に来て頂き…。私のパートナーはある宗教団体の会長をされていて…、体がとっても大きな方で…』

【きっと愛してる】朗読
朗読は終わり、宮沢さんはページをめくる。ページをめくる手は止まり、何かを確認をするように詩集を見つめる。

【過食症の君と拒食症の僕】朗読
『アイスに バナナに うどんに ミックスナッツに …もみじ饅頭 100ダース』
朗読終わる。

『この歌は今から15年前に作られたもので、この歌を作った少年はとってもひねくれています。(好き)ということをまわりくどく言い、僕には理解できません…』

『次は3枚目のアルバムを作る際、曲が思い浮かばなくて…、夜に30分ぐらい、外を歩いてできたものです。翌日…、同じことをしてみましたが、曲はできませんでした』

【夜道】朗読
最初はかすれた声にして朗読。
『夜道を… 歩いていたら… 』
『なんか稲川淳二みたいだな…』
朗読をやり直す。
『夜道を歩いてたら ベンツにつまずいた 』
『これって、広島では多いでしょう?…』
朗読に戻る。
『よお・・ おにいちゃん……』と酔っ払いを演じる。
朗読終わる。

『俺…、こんな歌作っていたんですよ…、ん〜、…ばかでしょう〜?』

『詩を書き始めたのは…、歌詞自体は中学二年生の頃。親から(お前は、弱虫・ワガママ・過保護だ!それを直せ!)と言われ…、独り旅に行かされました。他人の家にです…。2週間ぐらい預けられました。そこにはギターがあって、それをいじりながら曲を作り、(ミッ○ーマウス)のノートに歌詞を書き、歌を作っていました。当時は誰かの真似をした歌詞ばかりで、その(ミッキー○ウス)のノートは引っ越しの時にはよく見かけ…、今でもよく見かけます。今になって何か使える物がないかと中を見ますが、今になっても使えません…』
『大学生になってから…誰かの真似ではなく、自分の言葉を使って歌詞を書き始めました。大学に行きたかった理由は音楽がやりたい、東京へ行って音楽がやりたかったから。 …、でも浪人しました。何故かって…、勉強していないから』
『実は一つだけ合格した大学がありましたが、その大学の入学申込書をなくしてしまい、 入学受付の申込期限が迫りました。希望通りの大学でもなく、浪人しちゃえ…、と浪人することにしました。申込期限が過ぎて、浪人が決まってから、その浪人の準備をする時に机の整理をしましたら、…よく見かける事務の机の上に敷いているビニールのシートがあるでしょう?それが僕の机の上に敷いていて、そのシートの下に入学申込書がありました。僕は見なかったことにして、その入学申込書をシートの下に戻しました…』
『東京の高田馬場に沢山の予備校があります。 早稲田ゼミナール・早稲田予備校・何とか早稲田)どれも合格率がトップです。たくさんある内の…、ある予備校に通っていました。僕は当時…志村けんで有名な東村山にある予備校の寮に住んで、高田馬場まで通っていました』
暗い予備校時代の寮生活を語る。門限・消灯も早く、ギターを持ち込むのも禁じられた規則の厳しい生活の中でウォークマンで音楽を聴き、寮の中にいた内緒でギターを持ち込んだ悪友と交渉をして、ギターを借り、曲を作った。最も音楽に飢えていた時期で、音楽の感性を最も磨いた時期。

『あの1年間は僕にとって財産です。でも、もうあの頃には戻りたくないです』

『みなさんが詩に触れるのは小学校の国語の授業からだと思います。僕もそうでした。当時、谷川俊太郎さんを…教科書に載っている写真を見て、すでに亡くなった方と思っていました。谷川さんとは2・3週間前にお会いしました』
『僕が思った言葉は、すでに谷川さんが使われていて…、でもその谷川さんの言葉は心に響くものがあります』
『実際、詩を書き始めたきっかけは…小学5年生の時に好きだった女の子から見せてもらった詩(悪魔になりたかった私)です』

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